二人の聖人 法律とは違ったもう一つの法

カトリック史上初めて法王二人が同時に聖人として認定された。 フランチスコ法王は27日バチカンのサンペドロ広場で開かれた示性式で前任法王であるヨハネ・パウロ2世とヨハネ23世を聖人として推戴した。 フランチスコ直前の法王だったベネディクト16世もこの合同列聖式に参加した。

成人の隊列に上った二人の法王を賛えると同時に生存する前・現職法王まで集まったこの日行事は‘君の法王の日’と呼ばれた。バチカンはこの合同列聖式を見守るためにサンペドロ広場にだけ50万人、周辺まで合わせれば80万人が殺到したと明らかにしたと<ガーディアン>は伝えた。 レフ・ワレサ前ポーランド大統領とベルギー、スウェーデン国王をはじめとして98個の代表団が参加し、ヨハネ・パウロ2世の故郷であるポーランドでは貸切りバス約1700台とチャーター機58便に別れて乗った大規模人員が参加した。

ヨハネ23世とヨハネ・パウロ2世は東西冷戦が苛烈だった20世紀を生きたが、その指向は違った。‘優しい法王’という愛称で呼ばれるヨハネ23世はイタリア北部田舎の村で小作農の息子に生まれて、司祭叙品を受けた後、第1次世界大戦の時、徴集されて参戦し、2次大戦時は法王庁外交官としてユダヤ人の犠牲を防ごうと努力した。 法王在任期間が5年(1958~1963)に過ぎないが改革で大きい足跡を残した。

1962年カトリック改革を標ぼうして第2次バチカン公議会を開いて他の宗教との対話、新教を含んだキリスト教教会の一致、祭礼改革などを促した。また、ミサでラテン語でない各国の母国語使用が始め、各国の土着化された聖母像登場も第2次バチカン公議会以後のことだ。彼はアメリカとソ連の冷戦仲裁にも努力した。 ポーランド出身で456年ぶりのイタリア人法王だったヨハネ・パウロ2世はヨハネ23世に比べて神学的に保守的な人物と評価される。

彼は女性司祭序品と堕胎に否定的であり、強い反共主義立場を取った。 26年の間(1978~2005)の在任期間に120余ヶ国を訪問するなど旺盛に活動して‘行動する法王’と呼ばれた。 演劇俳優出身である彼は外向的性格と印象的な身振り、熱情的な演説にも有名だった。 彼が法王である時カトリック司祭のセクハラなどが問題になったが、この問題を積極的に解決しなかったという批判的評価もある。